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わたしのパートナー

わたしのパートナー my partner 

家事をするとき、仕事にとりかかるとき。 

これがなくては始まらない、というものがあります。 

ふだん、とくべつに意識していなくても、 “ない”と気持ちが落ち着かない大切 なもの。 

連載「わたしのパートナー」では、さまざまな仕事に携わる方々の、なくてはならない相棒を通して、仕事や暮らしへの思いを伺っていきます。

 

建築家

中村好文さんのパートナー・後編

「大磯Cliff House(クリフハウス)からの眺め」

 

 

大磯クリフハウスを譲り受け、中村さんはその改修の後で敷地内に3メートル角の二階建ての小屋Cliff Hut(クリフハット)を造り、そして昨年は蔵書を収納した小さな書庫Cliff Stack(クリフスタック)を新しく建てた。

クリフハットは、遊びにきた友人たちが泊まっていけるよう、1階には納戸のほかシャワーとトイレを、2階には引き出すことでベッドにもなるソファを備え付けた。望月通陽さんのプレートに挨拶し、1階からコンパクトな螺旋階段をのぼる。皮の取っ手の付いた板を押し上げると、そこになんとも居心地のいい空間があらわれた。

 

 

 

 

 

「僕の設計する家は、木の素地と白い壁が多く色がないんだけど、ここのソファにはミナペルホネンのインテリアファブリックを使いました。この空間をちょっと華やかな感じにしたかったからね。よく泊まりに来てくれるのは皆川明さん。ミナの布を使った部屋の居心地がいいのかな(笑)」

 

 

 

そしてやはりこの方丈庵からの眺めもすばらしい。

奥行きを深くとった窓枠に腰かけ、めいっぱい脚を伸ばす。

眼前に広がるのは母屋のクリフハウスとはまた違う、海と空。

「窓の高さを先に決めて、そこから50cm下がったところを床にする。ちゃんと海が眺められるように、いちばん最初に考えたことです。ここに座って海を眺めたり、本が読めたりできたらいいなって」

 

 

 

天井ぎりぎりまで本がびっしり詰まった書庫にも、中村さんこだわりの仕掛けがたくさん施されていた。

書籍を面出しで収められる書架に、高いところに手が届くように設えられた螺旋型の脚立。そのフォルムの美しさに驚いていたら、「僕、家具のデザインもライフワークなんだよ」とにっこり。

座り心地のいい椅子の脇には読書灯。そしてなぜか双眼鏡がひとつ。

「これは、上の段の文庫本のタイトルを見るため。この高さだととても肉眼では見えないでしょう?」

 

 

 

この夏、中村さんと夏実さんはコロナ禍を経て3年ぶりにヴェネツィアにひと月ほど滞在した。知り合いのアパートメントを借り、買い物をして自炊し、散歩して暮らす。中村さんは若い頃からいくつもの旅を重ねてきた。

「アルバイトしてお金を貯めてはあちこちにでかけました。最初は中仙道を歩いてみようと思って、軽井沢、御代田の辺りから歩き出しましたね」

学生らしく、建築を見る旅。なかでも民家や集落に興味が湧いた。

「だから、建築だけじゃないですよね。人の暮らしとかもみんな観察することになるわけで、それが面白くて。そういう旅の経験が自分の仕事の糧になっていると思います。人の暮らしを見て、自分なりの発見をして。考現学を提唱した今和次郎って人は、『山に炭焼きのおじいさんが住んでいたら、そこには行ってみたいと思う」というようなことを書いています。そこに人の暮らしがあって、どうやって水を得て、どう煮炊きして、どんなふうに暮らしているか、それが見たいと。まったく同感。 僕は今和次郎からいろいろなことを学びました」

ヴェネツィアも、最初に訪れたときにはあまりにも観光的な街で、もう二度と来ないだろうと思ったという。しかし観光客が多い通りから一歩外れたら、そこに人の営みが見えた。ものづくりを生業とする職人たちの暮らし。

「活版印刷、革細工や家具の職人たち。いろいろな人が様々なものを作って生活している。それが面白い。それと、ほぼ歩かなきゃいけないこと。ヴェネツィアは車はおろか自転車の乗り入れもできない土地だから。車がないってだけで時間の流れ方も違います。ヴァポレット(水上バス)ものらりくらり、運河をあっちに寄りこっちに寄り、そののんびりしたリズムがすごくいいんですよ。僕は早起きなので、朝1番の船に乗って、1時間半ぐらい揺られて過ごす」

 

 

 

夏実さんから、「もうすぐ雨が降りそうですよ。外の写真を撮るなら早い方がいいよ」と声がかかる。「もう、小田原の方が暗くなってきているから」と。 

――ここに暮らしていると天気の変化がわかるようになるんですね。

「そう。だんだんわかるようになったみたい。あと1時間で雨かな、みたいに」

海の上に広がる遠くの空を眺めてこれからの天気を知る。

陽を受けて光る朝の海も、街灯の先に暗闇と混じり合う夜の海も、中村さんの暮らしの傍らにあるものだ。

「うん。それこそパートナーなんじゃないかな。いつも傍らにあって、どこが助けになってるかわからないけど、それがあることで生きる支えになっている。長いあいだ、僕の日常には海が失われていた。けれど、今は海が傍らにあり、心に落ち着きが生まれる。いつも大磯に帰ろう、海のそばに帰ろうって思っています。それこそ都内で夜の11時過ぎまで仕事をしてくたくたになっていても、そう思う。ここは僕の帰るべき場所であり、終の棲家ということなんだろうと思っています」

 

撮影 中村好文

(翌日、中村さんから届いた写真。「さて、昨日のために予約しておいた『虹』が、今朝ほど遅れて届きましたので、メールでお送りいたします」)

 

 

●わたしのパートナーvol.14後編

中村好文さん

「大磯Cliff House(クリフハウス)からの眺め」

なかむら・よしふみ●レミングハウス主宰。おもに個人住宅を手掛け、その台所づくりで人気を博す。食べる、飲むはもちろん料理もするのも好き。エッセイの名手としても知られる。『百戦錬磨の台所』(学芸出版社)、『意中の建築』(新潮社)など著書多数。愛媛県松山市の伊丹十三記念館にて、企画・プロデュースした「食べたり、呑んだり、作ったり。」展が開催中。

写真・大段まちこ 文・太田祐子

 

 

 

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