わたしのパートナー
my partner
家事をするとき、仕事にとりかかるとき。
これがなくては始まらない、というものがあります。
ふだん、とくべつに意識していなくても、 “ない”と気持ちが落ち着かない大切なもの。
連載「わたしのパートナー」では、いろんな仕事に携わる方々の、なくてはならない相棒を通して、仕事や暮らしへの思いを伺っていきます。
高林麻里さんのパートナー・後編
「絵の道具」
高林さんの近刊、『おかえりなさい、アレックス』は保護犬の黒柴アレックスがキヨさんという女性に引き取られることから始まる物語だ。ひとりでスイーツショップを営むキヨさんと彼女を支えるアレックス。淡々としながらも愛らしい画風とふたりの交情に愛おしさが募る。
じつはこのアレックスの物語が生まれた背景には、高林さん自身の経験があった。
「6年前に犬を飼いまして。マンハッタンの大学に通っていた娘が動物好きで、譲渡会や動物保護センターへ行っては、この子はどう?って写真を送ってくる。私も最初は取り合わなかったんですけど、なぜかその頃動物のビデオにはまっていて、少し気になるところもあったんでしょうね。子育てもだいたい終わって、犬を飼うと散歩とかもたいへんだし、どうかなあって思ってたんだけど。ある日、娘が個人広告のサイトで、子供の病気のために犬を手放さなければなくなった方の記事を見つけて。ほかにも希望者はいたけど、なぜか娘に譲渡したいって白羽の矢が立ったんです。夫と娘がロングアイランドまで朝早く迎えに行ったものの、私も優柔不断だからそのときもまだ、うちに合わないような犬だったら断ってもいいんだからね、なんて言って」
でも、と高林さんはつぶやいた。
「でもなんとなく、犬が来るのを楽しみにしてたのかなって気もする。娘から電話があって、やっぱり連れて帰るからねって。彼女の膝の上に乗っかってるのを見たら黒柴だったんですけど、初めて見たときから、すごいかわいいなあって思ったの、覚えてます」
いったん飼い始めてみると、夫も子供も仕事に学校に忙しい。家で仕事をする高林さんにベラと名付けられた黒柴がなつくのも当然のことだった。そして、その絆が強くなるにつれ、高林さんは自分の変化にあれっと驚くことが増えたのだという。
「ベラと散歩しているとしょっちゅういろいろな人に話しかけられます。『これはシバイヌ?』と聞いてきたり、『おまえは犬じゃないだろキツネだろ!』とからかわれたり。犬好きの人がいっぱいいるのに驚きました。そして気がついたら、自分もそんな一人になっていたのです」
犬から始まって、猫、そのほかの動物にも興味が湧いてきた。猫はどんなかんじかなと、近所の家数軒の猫の餌やりを手伝ったり。
「今は3匹の猫がいる1軒だけ。そこの3匹がもうかわいくて。猫を見てたらなにかお話も思いつくような気もします。いつのまにか、動物全部が好きになったっていうかんじで、不幸な動物がいるのなら微力ながらなにかできることはないかと考えるようになりました」
そうして誕生したのが『おかえりなさいアレックス』だった。
「でも、最初はべつに保護犬のことを描こうと思ったわけではないんです。犬か猫と人の心温まる話を書きたい、ラブストーリーみたいなものを描きたかった。でも結果として、保護犬と暮らす生活を描くことになったのは、私のなかに不遇な動物を救いたいという気持ちが強かったのかなと思います」
そう一息に話して、「やっぱり保護犬にはセカンドチャンスをあげたいですから」と付け加えた。
そしてもうひとつ。犬との出会いは画業そのものにも影響があったのだという。
「そもそも以前は動物の絵なんてまったく興味がなかった。それに描き方も、今までとは違ってあくまで“私なりの”ですがリアルになってきた。ずっとうちの犬ばっかり描いていたら、友達から『じゃあうちのも描いて』と言われるようになって。次第に『子供も一緒に』とリクエストが膨らんで(笑)。だから人の顔もリアルに描くようになって、肖像画シリーズが生まれたんです」
一匹の犬が高林さんにもたらしたものは小さくなかったんですね、そう伝えると、
「ふふ。もう会話もできてるような気がするくらい。だから、今回、冬の贈り物企画のためにみなさんにペットの写真を送っていただいて、メールでどんな出会いだったのか、どういうふうに暮らしてるのか聞いていたら、ひと家族ごとにそれぞれの物語があって、一生懸命、愛をこめて描こうという思いが強くなりました」
肖像画と絵本、絵を描くということは同じでも、その過程はずいぶん違うように思える。けれど、高林さんはそのどちらも好きだと言う。
「絵本は、長い時間をかけて編集者に叱咤激励されながらようやく最後までたどり着くかんじですが、肖像画の場合は注文された方の思いを受け止めたら、あとは一気呵成に仕上げる楽しい作業です。だから、今のバランスは理想的かなあ」
高林さんが絵本づくりで大切にしていることはなんだろう。
「むずかしいですが、やっぱり人をひきつけるような絵を描くこと。そしてお話は、私はいつだってハッピーエンドを書きたいし、読んだ人が優しい気持ちになれるようなお話にしたいと思っています。そして、マイノリティを大切にしたい。たとえば『おかえりなさい、アレックス』には義足の女の子が出てきます。あえて説明することなく、あたりまえの存在として自然に描きたいなと思っています」
それは高林さんが長くニューヨークで暮らしているから生まれた視点なのか、改めて聞くと、こんな話をしてくれた。
「20年前に『I live in Brooklyn』という絵本を描きました。ある子供のブルックリンでの1年の生活の様子を綴ったものです。まだ娘が7歳の頃で、彼女の通う学校には発達障害や身体障害の子どもたちも多くいました。娘の友だちにも車椅子の女の子がいて、近所に住んでたからよく遊びに来ていて。子どもたちが遊ぶ光景はすごく自然で、車椅子だとかぜんぜん関係ないんだなと思って絵本にも描き入れました。その絵を見せて『あなたもここにいるよ』って伝えたときの女の子の顔。すごく喜んでました。やっぱりこうじゃなくっちゃなって思いましたよね。実際私たちの住む世界は健常者だけじゃない。そして私自身もマイノリティです。ニューヨークで、アジア人で女性で。まったく差別を感じた事はありませんが、歴然とあるじゃないですか。それでもみんなで共存することを訴えたい。あたりまえのことだと思いますし、人にも動物にも優しい気持ちでいたいですね」
わたしのパートナーvol.6後編
高林麻里さんのパートナー
「絵の道具」
高林麻里●たかばやし・まり 絵本作家、肖像画家。1990年に渡米し、創作を続ける。CHECK&STRIPEの依頼をきっかけに、最近は鉛筆画のおもしろさを感じているそう。『おかえりなさい、アレックス』(講談社)、『おたすけや たこおばさん』(偕成社)など著書多数。アメリカで刊行された『I live in Brooklyn』はロングセラーに。
写真・大段まちこ 構成、文・太田祐子