リバティ百貨店の外にはとても大きなからくり時計があります。
その時計は15分ごとに、キリスト教の聖人のひとり、セント・ジョージがドラゴンを追いかけて、そして、1時間ごとに、セント・ジョージは彼の馬からドラゴンをやっつけるのを見ることができます。
チューダー様式の天井はガラス(!)でアトリウム(中央大広間)に光が差し込みます。
リバティ百貨店の歴史についても、ご紹介しますね。
創設者のアーサー・ラセンビィ・リバティは、服地商人の息子として、1843年に英国南東部バッキンガムシャー州チェシャムで生まれました。
貧しい家に育ったリバティ氏は、ワイン店や服地店での見習いを経て、19歳の時にロンドン・リージェント・ストリートにある「ファーマーズ&ロジャーズ商会」に就職。それは、ロンドンで万博博覧会が開かれた年でもありました。
万博で日本の美術品に魅せられたリバティ氏は、東洋の商品を多く扱う店舗で支店長になり、同店を成長させました。
約10年間で商売の基本を覚えたリバティ氏は独立を決意し、31歳で「リバティ商会」を設立。
リージェント・ストリートに開いた小さな賃借店舗が、のちのリバティ百貨店です。
東洋の装飾品やファブリックなど、リバティ氏が扱う商品は人々を魅了し、わずか1年足らずで開店当時の借金を返済。
事業拡大とともに近隣の物件も買い入れていきます。
日本や東洋の装飾品、織物、その他様々な芸術工芸品を扱うリバティは、やがてロンドンでもっとも注目される店舗となっていきました。
やがてリバティのものづくりは、1890年代、世界的ムーブメントとなったアーツ・アンド・クラフツ運動(イギリスの詩人、思想家、デザイナーでもあるウィリアム・モリスが主導した美術工芸運動)に関わるアーティストたちにも大きな影響を与えることになったのです。リバティ氏は若きデザイナーたちをバックアップすることで、アールヌーボーの発展にも貢献します。
(イタリアではアール・ヌーヴォー=「スタイル・リバティ」として知られるようになるほどまでに!)
60年代のマリー・クワント、70年代のイヴ・サンローラン、2000年代のルイ・ヴィトンやシュプリーム、昨シーズンのロエベなど、世界のトップデザイナーたちともコラボーレーションを続けるリバティ。
「すべての人に優れたデザインを」という信念は、時を超えた今もなお、
おしゃれ好き、ソーイング好きの心をわくわくさせてくれます。