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わたしのパートナー

わたしのパートナー

my partner

家事をするとき、仕事にとりかかるとき。

これがなくては始まらない、というものがあります。

ふだん、とくべつに意識していなくても、 “ない”と気持ちが落ち着かない大切なもの。

新しく始まった連載、「わたしのパートナー」では、いろんな仕事に携わる方々の、

なくてはならない相棒を通して、仕事や暮らしへの思いを伺っていきます。

 

 

himie 代表 下川宏道さんのパートナー・前編

ボールペン[LAMY noto]

 

「ほんとにこれでいいのかなぁ」

首を傾げながら、下川宏道さんがカバンから取り出したのは少し太めの艶消しの黒いボディが印象的なボールペン。

「思い入れがあるようなないような。でも、書く時にはこれじゃないと落ち着かないから‥‥」

下川さんは、2004年創業のジュエリーブランドhimie(ヒーミー) の代表であり、デザイン、製作までを担っている。

 

縫針をモチーフにした「エギーユ」。

パールを鈴に見立てて、小さな金の粒をあしらった「鈴パール」。

細かな細工が施された細くて華奢な指輪にしっとりとした輝きを放つ金の鎖。

見ているうちに、知らず、心の奥底をきゅっとつかまれる、

その繊細な佇まいは、どのようにして育まれてきたのだろう。

 

 

 

 

ジュエリーデザイナーになる前、歯科技工士として働いていた下川さん。

それは家業を継ぐ形で選んだ職業だったが、あるとき仲間と一緒に、アクセサリーを作ってフリーマーケットに出店した。

「たしか、指輪を3本作って。まったく売れなかったけど。でも何年か続けたんですよ。

(遠くをみながら)そのときの思いってどんなかんじだったのかなあ。でも、歯科技工士の仕事とは違って、

自分の作ったものが会話のツールになる。それはおもしろかったですよね。人とのやりとりが楽しかった」

意外にも、歯科技工士の学校で最初に学ぶのは指輪作りだったのだという。

銀歯を作るのも指輪を作るのも技術的にはそれほど大きな違いはなかった。

だから、その頃作っていたのは、ほとんどが銀製品で、最初に売れたのは指輪だった。

しばらくは技工士の仕事をしながらアクセサリーの製作を続けたが、そのうち、インテリアショップでも取り

扱ってもらえるようになってきた。

 

 

「ジュエリー作りを本業にしようなんて考えたこともなかったですが、単純に、自分が作ったものを手にとってもらえることがうれしい。

うれしいことがどんどんつながってくるかんじで」

ファッションの展示会などに出店するようになった頃、百貨店のバイヤーからも声がかかり、ついには松屋銀座に出店を果たす。

「その頃にはさすがに、歯科技工士の仕事は辞めていて。でも、初めて人を雇うことになって、恐怖でしたねえ。それも3人も。いきなり責任重大です」

 

これまで作り手だったのが、会社の経営も、百貨店との折衝もせねばならず、気づけば、納品が滞るようになっていたという下川さんを見かね、2003年に結婚していた妻の里美さんが勤めを辞め、himieに参加することに。

「ほんとに助けられました。ひとりではもう、できなかったから」

製作と経営の礎が定まったhimieは、大阪を皮切りに、京都、そして2019年には東京・青山のフロムファーストビルにhimieの世界観をあらわした直営店をオープンした。

 

 

 

後編へ続く

 

 

●わたしのパートナーvol.1 

下川宏道さんの[LAMY noto]

1930年にドイツの古都ハイデルベルグで設立された筆記具メーカーLAMY社のボールペン。

デザイナーの深澤直人さんとのコラボレーションから誕生したモデル「ノト」。

himie aoyama

東京都港区南青山5-3-10フロムファースト2階

電話03-5485-1277 火曜日定休

商品はオンラインショップでも取り扱い有り。

https://himie.com/

 

写真・大段まちこ 構成、文・太田佑子

 

 

 

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