わたしのパートナー
my partner
家事をするとき、仕事にとりかかるとき。
これがなくては始まらない、というものがあります。
ふだん、とくべつに意識していなくても、 “ない”と気持ちが落ち着かない大切なもの。
連載「わたしのパートナー」では、いろんな仕事に携わる方々の、なくてはならない相棒を通して、仕事や暮らしへの思いを伺っていきます。
木工作家
江籠正樹さんのパートナー・後編
「オリバー」
最初の注文はお箸だけ。
土日を製作にあて、仕事を続けた。
でも、次第に事故の後遺症で右耳がほとんど聞こえないようになり、ミスや勘違いが増え、江籠さんは会社を辞めた。
「イコッカさんに仕事をいただいていたのが力になりました。行商みたいに東京や福岡で見てもらって。最初は物珍しさも手伝って、そこそこ売れましたがやっぱり生活は成り立たない。毎日、このままじゃだめだろうな、なんとかしないとと思いながら、眠れなくなってきて」
そうすると、好きだったはずの木工が楽しくなくなってきた。
売れないし、スプーンや皿を作る有名作家はほかにもたくさんいる。
自分の居場所は見当たらない。
それでも毎日彫刻刀を手にすることをやめなかった。
江籠さんは家の軒下にターフを張って、その下でコリコリ木を削る。すると、近所の子どもたちが寄ってくる。
なにしてるの? 物珍しそうに。
「丸見えなんですよ、表から。せっかくだから、なんか喜ばせてあげたいなと思って、木の余りで鳥を作ったり、車を作ったり。そうすると、ちっちゃい子どもたちがすごい、すごいと喜んでくれて、だんだんうちの庭に20人くらい集まるようになって。『この前あげたやつ、どうした?』って聞いたら、『テレビの上に置いてるよ』『玄関に飾ってる』って。うれしかったですね。オブジェと言えるものではないですけど、食器以外のものを彫るようになったきっかけを子どもたちにもらったんです」
イコッカから「アルプスの少女 ハイジ」展への参加を打診されたのもそんな時期だった。
最初は、スープボウルやパン皿を作っていたが、
「それではおもしろくないなと思って、犬のヨーゼフや子羊のユキちゃん、ハイジとおじいさんの食卓セットを作った。みんなでテーブルを囲んでいるような。それがいちばん最初の作品といえるかもしれません」
食卓セットの写真は作品展の告知にも使われ、反響を呼んだ。
オリジナルで庭と犬のセットを注文してくれた人もいたし、動物のオブジェもいくつか納品した。
初めての個展も開き、そこからは順調に、と続けたいところだが、江籠さんの眉根はまだ曇ったままだ。
「ほかに作る人がいなかったから、手にとっていただけた。でも、作りながらもなんで売れるのかなと自分で思ってました。これじゃあ、いかんと。自分が買うかどうかと言えば、自信を持って買う、とは思えなかった。当時、人形には顔もないし‥‥自信の無さの現れかもしれませんね。あんまり真剣に考えてなかったのかもしれない。仏像を作るときに目を入れるのは最後だといいますが、ぼくはなかなか顔を作れなかったですね」
しかし、いつだったのかはっきり覚えてはないけれど、江籠さんの人形は顔を持つようになった。
遠くを見るような、生まじめなような、明るいようにも暗いようにも感じられる不思議な顔つき。
「ぼくが考えることと、お客さんが感じることは違うんですよね。悲しい顔に見える人もいるし、笑っているように見える人もいる。だから、ぼくがなにか言うことはないんだと、そう思えるようになったからなのかもしれない」
ところで、オリバーとはどんなふうに出会ったのだろう。
江籠さんに聞くと、またまた眉根を潜めて切り出した。
「これも‥‥ぼくは悲しい話ばっかりなんですけど。ぼくの作品は転売がひどいんです。4年前がいちばんひどかったのかな。数倍も値段が付くような時期があって、明らかに転売目的で買っていく人がいたんです。ぼくはすごく落ちこんで、どうせ転売されるんだと思うと手が動かなくて仕事にならなかった。そんなときに気分転換にペットショップに行ってみたら、見たことのない犬がいました。ケージを噛み切らんばかりに暴れて、誰も近寄らない。なぜかその暴れんぼうぶりも気になって、いったん家に帰って、妻に相談してまた次にいたら買おうかと話して。そしたら、いたんです。オリバーはまだ生後4ヶ月だったかな」
黒っぽい毛をして、垂れ耳で。かわいい見た目にかかわらず、もとは猟犬だから運動もたっぷりさせないといけない。
「最初は粗相して、家のなかもめちゃくちゃでした。庭も狭くて駆け回れないし。ぼくも仕事から逃げたくてしょうがないから、庭にオリバーのためにレンガを敷き詰めたり、そんなことばっかり3ヶ月間して。今思えば、あれはオリバーが来てくれたこその時間でした」
名前をつけるまえ、「お利口さん、お利口さん」と呼んでいたので、イギリスっぽい名前で「お」から始まる名前を探して「オリバー」。
「夏はオリバー用に自転車に木でカゴを作ったんです。同じ方向を向いて風を切ってサイクリングできるように」
以前とくらべ、犬のオブジェを作ることが増えました、と微笑む。
数年前、CHECK&STRIPEで展覧会をしたとき、江籠さんは小さな木彫りのパンを用意して、並んでいたお客さんに配っていた。
「そのとき、江籠さんが、『オリバーが道に迷ったときにだれかがパンのひとつでもやってくれたらいいなと思って』ってお話されていたんです」と、これはCHECK&STRIPE社長の在田さん談。
その話をあらためて聞くと、
「いや、社長が思うようなきれいな話じゃないんです。個展のとき、納品は2日前くらいに終わるから、そこで休んでしまうより、クールダウンで手を動かしておいたほうがいい。だからちっちゃいものを100個くらい作るんです。パンだったり、りんごとかおうちとか。あ、でも最初はそこまでしないと売れないと思ってたのかもしれませんね。やっぱり自信がなかったんです」
伏し目がちにそう語る江籠さんだが、思い出したようにパッと表情が明るくなった。
「そうそう、でも、このあいだ夢のようなことがあって。近所にパン屋さんができて、オリバーと一緒に行ったんですけど、売り切れで店は閉まってました。でもせっかく来たんだから、オリバーにパンを見せてやろうと思って持ち上げて。そしたら、オーナーの方が出てきて、ぼくらに塩パンをくれたんです。よほどみすぼらしく見えたのかな? でもうれしかったなあ」
そしてこう続ける。
「こんな考え方はよくないかもしれないですけど、いいことがあったら悪いことがあって、悪いことがあったらいいことがある。それはみんな平等だと思うんです。ぼくはいいことがあるとどこかで消化しないといけないと思ってしまう。だから、あまりいいことが起きないように注意しているところもあるし、いいことがあると誰かに還元したいんです。お客さんが来てくださって、パンで喜んでいただけるんであれば作っていく。ふだんも、もしかして街で泣いている人がいるかもしれないと思うから、ポケットにちっちゃいものをなにかしら入れているんです」
それはオリバーがくれた幸せのお裾分けみたいなもの、なのかもしれない。
●わたしのパートナーvol.4 後編
木工作家・江籠正樹さん
オリバー
江籠正樹●えご・まさき
1973年鹿児島県生まれ。木工作家。スプーンや食器を経て、現在は独特の存在感を放つ人形やオブジェを製作。個展を中心に活動中。CHECK&STRIPE10月23日〜25日、12月4日〜大阪SHELFでの個展が控えている。
写真・大段まちこ 構成、文・太田佑子