わたしのパートナー

わたしのパートナー

my partner

家事をするとき、仕事にとりかかるとき。

これがなくては始まらない、というものがあります。

ふだん、とくべつに意識していなくても、 “ない”と気持ちが落ち着かない大切なもの。

連載「わたしのパートナー」では、いろんな仕事に携わる方々の、なくてはならない相棒を通して、仕事や暮らしへの思いを伺っていきます。

 

 

おじろ角物店のパートナー·前編

「たっちゃんと美穂さん」

 

角物(かくもの)と聞いてすぐピン!とくるかたは、きっとかなりのかご好きさん。

「おじろ角物店」は小代正さんと美穂さんの屋号で、地元大分の真竹を材料に、四角い箱もの(角物)を中心に製作している。

上は、CHECK&STRIPEが以前別注した裁縫箱で、このときもあっというまに売り切れたという。さまざまなサイズの角物とかご、バッグ。人気の雑貨店がこぞって取り扱いを望むモダンな角物をふたりで生み出している。

最初、「パートナー」の候補を挙げてもらったら、正さんは竹割包丁、美穂さんはエプロンとの答え。

そのつもりで大分市内の工房へ取材に伺うと、正さんが言いにくそうに、

「やっぱり包丁は道具、ってかんじなんですよねえ」。

手の延長にあるもので、もちろん無くてはならないものではあるけど、パートナーかというとちょっと‥‥。子どもの頃から海が好きで、長いことサーフィンに夢中になっとったからサーフボードがいいかねえ?

いや、でも、最近は海釣りにはまって、あんまりサーフィンは行ってないか。釣り道具は違うし、そうすると海? 

話しながら考え続ける正さんを、美穂さんはお茶をいれながら、おっとりと眺めている。そのうち、正さんがぽつり、

「うーん、ほんとのところ、パートナーは美穂さんやけどね‥‥」

惚気にきこえんといいけど、という正さんの心配を横目に、それ採用! させていただきます。

 

 

 

正さんの両親との二世帯住宅の一角に、お弟子さんたちと手を動かす大きな作業台のある工房、そして庭に二階建ての作業小屋がある。

「この小屋は、最初平屋のつもりやったんですけど、自分たちで作ったもんやからついでに2階も作ったんです」と正さん。梁や基礎は大工さんに頼んだが、壁やその他の作業は自分たちで行ったのだと言う。

「ちっちゃいときから、自分でなにか作るのが好きやったですから」

市内の芸術高校から福岡の大学の芸術学部で石彫を専攻した正さんは、卒業後、大分の貿易会社に就職した。本当ななにかものづくりを仕事にしたかったけれど、そんな就職先はなく、営業の仕事にしっくりしないものを抱えつつ勤めていたという。そしてその鬱々とした気持ちを晴らすように、毎週のようにサーフィンの聖地、宮崎の海へ通うようになっていた。

「18歳のときからサーフィンしよったんですけど、この時期は会社員のストレスがひどくて、無になりたくて海へ。もう海しかなかったんですよ、生きる甲斐みたいなものが」

そこで美穂さんと知り合う。

美穂さんはボディボードにはまって、やはり福岡から友人と宮崎の海へ来ていたのだが、友人が正さんと同じ大学の出身だったことから話が弾んだ。

 

正さん  「不思議なんやけど、あ、結婚する人やとすぐ思った。この人やって」

美穂さん 「私は、わかってなかった。たっちゃんが友だちと喋ってるのをぼやーっとみよったね。初対面なのにすんごいよくしゃべるなあって」

 

美穂さんは当時、歯科医として勤めていた。

福岡の歯科大学を出て、通常の歯科受診が困難な患者を診る特殊歯科を専門とする医院で、仕事にやりがいはあったが、一方でその過酷さに押しつぶされそうになっていた時でもあった。正さんとつきあい、一緒に暮らしはじめて美穂さんは勤めを辞め、大学院へ入った。が、なかなか研究そのものに心が動かなかったという。そして、同棲を始めてから福岡で働いていた正さんの大分への転勤が決まったことをきっかけに結婚し、歯科医を辞めることにした。

「あ、結婚したら辞めようって。なんかさっぱりしたかんじでしたね」

働きながら友人とバッグをデザイン、製作してウェブで売るなど、もともとものづくりには興味があった美穂さん。仕事を辞めてぼんやりしているときに、正さんが「こんなのあるよ」と教えてくれたのが、大分県の竹工芸訓練センターの存在だった。そこでは雇用保険をもらいながら竹工芸の技術を身につけることができる。真竹の生産地であり、古くから竹工芸が盛んな大分の地場産業の振興のために設けられた学校だったが、残念ながら、美穂さんの雇用保険は期限切れ。だが、大分での仕事にも限界を感じていた正さんが挑戦してみることにしたのだった。

 

正さん  「地元やったから、もちろん竹工芸は身近にありましたけど、それを仕事にするなんて考えてなかった。両親も高度成長期の働き手でしたからサラリーマンが一番だと。でも時代が変わって、工芸が見直されてきた時期でもあって。なにかものを作る仕事がいいと思っていたから、僕が通うことにしたんです」

美穂さん 「私も竹ひごくらい作れるようになっておこうと思って、別府の公民館に習いに行ったりしてました」

 

福岡を離れ、大分で暮らすことを決めたのにはもうひとつ理由があった。

それは、ちょこまの存在だ。

ふたりが福岡で飼っていた猫のちょこまは、当時、正さんの実家に預けられていた。

 

美穂さん 「1週間くらい旅行に行くときにたっちゃんの実家のご両親に預けたら、外に出られるからほんとにのびのび過ごしてて。狭いマンションに連れ戻すのもかわいそうだったから、そのまま里子みたいにしてもらって」

正さん 「それもあって、結婚して大分へ行こうということになったね。ほんと、ちょこまが呼んでくれた。ちょこまは18年生きて、ふた月ほど前に亡くなったばかり。まだ信じられんから、お酒飲んだら涙でてきて困ります」

 

ふたりがくつろぐリビングには、今もちょこまの写真が大切に飾られ、ちょこまが(オスなのに)母のようにしてして育てたむくちゃんが二人の愛情を引き継いで暮らしている。

 

 

 

正さんが訓練センターでの研修を終えたあと、ふたりは最後の角物師といわれる寒竹唯善さんに弟子入りする。

 

正さん  「芸術的な竹工芸と違い、道具である角物を専門にする人はもういなくなってて。ようやく見つけた師匠にふたりで弟子入りしました。もちろん給料もなにもない丁稚奉公で。でも、3ヶ月くらい経った頃、師匠に『もうだいじょうぶやろ』と言われたね」

美穂さん 「私は学校に行ってないから、師匠に教えてもらえてよかった」

正さん  「僕より覚えが早いんです。情けないことに」

美穂さん 「そんなことない(笑)」

正さん  「『ふつう、お弟子さんは一人でくるけど、あんたたちは二人で4つの目で見るから、覚えが早いね』と師匠から言われて。最後は、『あんた、かみさんがおるけん大丈夫やわ』って3ヶ月で独立させてくれました」

 

 

 

「師匠ももうだいぶお年やったから、疲れてたんだと思うよ」と美穂さんは笑う。

 

独立後、最初は仕事もなく、東北地方でお盆にお供えを載せる角盆など師匠の仕事を手伝った。

それにしても、なぜ角物だったのだろう。

 

後編へ続く

 

わたしのパートナーvol.3

おじろ角物店

[たっちゃんと美穂さん]

おじろ角物店●おじろかくものてん 角物(箱物)を中心に展開する小代正さん、美穂さんによる竹工芸ユニット。先の東京オリンピックのときに流行したシャルロット·ペリアンデザインのシェルバッグの復刻や、様々なブランドとのコラボ製品なども手がける。取り扱いなど詳細は、https://ojirokakumonoten.com/

https://www.instagram.com/ojiro_kakumono_ten/

 

写真·大段まちこ 構成、文·太田佑子

 

 

 

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